| | - 由来
かつて奈良内山の永久寺奥の院に不動明王と八大童子がまつられ、この尊像は日本三大不動のうちの一つであるとされていました。 元弘年間の兵乱で後醍醐天皇は笠置の城をお出になりこの内山にお住いになりましたが、鎌倉の家臣であった深須の入道松井蔵人やその雑兵数百人が、天皇を追って西北の門に攻め寄せ味方の死傷者が続出し、山内の防禦もおぼつかなくなりました。 その折、どこからともなく八人の大男が現れて敵勢に打ち向い、その勇敢さに敵味方とも驚嘆してしまいました。 戦い終って或る僧がその大男の帰る後をつけていきますと、不動堂に入っていくのを見とどけました。 翌朝、その僧はお堂に入って探したところ人気はなく、唯、八大童子のお足が泥まみれになっているのに気づいたと云う事です。恐らく八大童子が後醍醐天皇を守護されたのでしょう。 又、奈良矢田の東福寺の住僧が難病にかかり、なかなか癒らずにいた折このお不動様にお願いしたところ、忽ちに平癒し、その報恩の為鐘を寄進したと云う事です。 銘にいわく「時惟元徳元年甲子11月28日」と記されていたそうです。 |
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