■開基は、睦賢和尚で十有余年の歳月を積み、独力で祈願寺・世田谷山観音寺を建立し、 昭和26年5月、金竜山浅草寺に請い、開眼の法を修した。 ■本堂には御本尊、聖観世音菩薩(刀印観音)が祀られている。かつてこの尊像は、天正 年間に伊勢の国長島の名刹興昭寺の秘仏として安置されていたが、星移り世は幾変転、聖 世観音菩薩の尊さ御姿は、ある時は堂宇に鎮り、また、ある時は風雨にさらされたり、有 為転変のままに変わったが、慈悲の御光は常に曇ることなく、代々帰依する人々にあらた かな御利益を垂れ給うと伝えられている。 ■ 特攻観音堂には過ぐる大東亜戦争で九死に一生を期する事なく散華された、四千六百有 余名の陸海軍特別攻撃隊員の英名を胎内に奉蔵する特攻平和観音像がまつられています。 この観音像は元海軍大将及川古志郎、元陸軍大将河辺正三、元陸軍中将 菅原道大、元海 軍中将寺岡謹平等の諸氏が発起人となり、造立され、音羽の護国寺で東久邇元宮様のご臨 席のもと開眼供養を厳粛盛大に挙行されたものです。昭和28年当山に奉遷されました。 お堂は、かつて華頂の宮家の持念仏堂で天井には菊の御紋がみられ、天皇、皇后両陛下各 宮家からお花料を賜わっています。【特攻平和観音造立趣意書全文】 ■六角堂は、不動明王ならびに八大童子がまつられ、旧国宝現国指定の重要文化財になっ て居り、鎌倉時代の大仏師運慶の孫康円の作であります。製作年代は胎内願文に文永9年 11月(西暦1272年)、「謹んで当寺の伽藍に安置して内外の魔障を除かんと欲す」と あります。文永9年は元の大軍が大挙して来襲して来た2年前にあたり、鎌倉の若き執権 北条時宗が日本を治めていた時代であります。 尚、このお不動様のように八大童子を従えて居られるのは、関西では高野山にある運慶作 と関東では当山奉安の康円作と日本にわずか二体だけと云う極めて貴重な重要文化財であ ります。 ■阿弥陀堂(三層の建物)には、阿弥陀如来並びに観音様、左甚五郎作の鬼念仏、韋駄天 神、五百羅漢坐像等安置されています。 ■鐘楼堂は、旧石薬師寺所蔵、梵鐘は奈良極楽寺什物で慶長10年(1605年)の銘が あります。 ■三鈷の松は、樹齢100年以上とされ、同種類のものは、高野山金剛峯寺にあり、大変 めずらしい松と云われています。
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